刀竜門BASARA
自治体のお祭り
 
関ヶ原合戦祭り
■ 開催地
 岐阜県関ケ原町

■ 開催日
 10月第3週

■ 参加人数
 100人ほど


■ 上演時間
 50分
1600年、天下分け目の関ケ原合戦の話。
豊臣秀吉亡きあとの天下を狙う徳川家康は東北の上杉征伐のため大坂城を離れる。これを絶好の機会とみた石田三成は諸国の大名に家康打倒の激を飛ばし軍勢を集め大垣城へと入った。実は三成挙兵を待っていた家康はすぐに軍勢をまとめ大垣城北西の赤坂に着陣。そして本多忠勝の進言を受け入れ家康は西軍の固める関ケ原へと向かう。井伊隊の発砲をきっかけに関ケ原決戦が始まった。両軍一進一退の攻防の中、家康は賭けに出る。松尾山に陣取る小早川秀秋に鉄砲を撃ちかけたのだ。どちらに味方するか迷っていた秀秋はこれにより裏切りを決断。山下の大谷隊に背後より攻め込んだ。大谷隊も奮戦するも裏切りは裏切りを予備ついに壊滅。続いて小西隊、宇喜多隊、石田隊も敗走する。東軍勝利が決まりつつある中いままで動かなかった島津隊が突如として動きだす。それは前代未聞の敵中突破の退却であった。

2010年の関ケ原合戦再現劇は関ケ原北小学校(現在廃校)グラウンドで行いました。ここは2000年に関ケ原400年祭で合戦劇を行った場所であり、あの時は見る側でした。記念祭のため今後行われることはないため参加しておくべきだったと悔やんでいました。それから10年たち、ようやくこの場所に立つ事が出来てたのは感慨深いものがあります。
多人数で行うには練習時間が前日・当日朝と少ないのですが、それでも参加者は合間を見つけては個人や隊で自発的に練習を行い、実に良い雰囲気でした。その甲斐もあり本番は上手くいきました。
私は宇喜多隊副将「明石全登」役で参加しました。単騎で福島隊とやりあったり、主君・秀家様を諌めたりと何かと出番も多くてやりがいがありました。参加者の一体感も素晴らしく、とても充実した祭りでした。

関ヶ原祭りでは私がシナリオ・指揮を執らせて頂くこともあります。

<参加>2008年10月19日(大将・蒲生郷舎)
    2009年10月18日(足軽・指揮)
    2010年10月17日(副将・明石全登)
    2011年10月16日(足軽・指揮)
    2012年10月21日(足軽・指揮)


■ 動画

@プロローグ

A全軍布陣

B合戦開始

C西軍敗走


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